B.O.R.N. ボーン
ノルベルト・フィデラーズによるブランド「ボーン」
帽子やスカーフといったファッションのアイテムをアートの視点から表現したのか?
アートの表現が帽子やスカーフといったファッションのアイテムに表れたのか。
B.O.R.N.ブランドの作家 Norbert Fiddelers(ノルベルト・フィデラーズ)はオランダを活動の拠点としている。
私はB.O.R.N.を ニューヨーク で知りその後何度か東京、福岡で個展またはポップアップで紹介して来ました。
今回の展開は5年ほど前にパリでNorbertと会って以来のことで、
私としても作家Norbertの創り出すB.O.R.N.という領域を日本のファンに再びどう見せていかれるかとても楽しみです。
村松孝尚
「B.O.R.N. 」デザイナー Norbert Fiddelersへのインタビュー
Q ユニークな作品スタイル、いつ頃どんな風にB.O.R.N.という作品になっていったの?
A 私が高校生だった頃、街にJimmy Cliff がやって来るというのでおばあちゃんにレゲーカラーのイエロー、グリーン、レッドの3色でセーターを編んでもらった。兄弟の分もおばあちゃんは編んでくれて兄弟一緒にコンサートに行くとそれをドイツのテレビ局が撮影、私はテレビに映ってそのセーターに注文が入った。私も高校生の頃からセーターを編んでいて友達からも評判が良く売ったりもしていたがこの時はとても自分では出来なくて糸買っておばあちゃんの所に行ってくれとお願いした。
そしてこの時の、ものを作ったりとかそれがどうやって売れていくのかについてこのアプローチが今のB.O.R.N.基礎になっているんだよね。
その後1990年から1996年、2年間はファッションの勉強をしてその後ファインアートにのめり込んでいった。卒業後はブリュッセルでフィルムメディアを学んだ。
1997年フォトグラファーとしてパリのファッションショー、トレードショーにかかわることになり、ワークショップという名前のトレードショーのオーナー・オートンシャと出会う。オートンシャは時々ニューヨークでトレードショーを開催したので私もニューヨークに写真家として行った、ある時オートンシャは私の隠し持っていったファッション作品を見てトレードショーのテーブルの上に乗せた。私の作品は瞬く間に売れ評判となった、その内の1人のバイヤーが東京にショップを持つHannaだった。
私はニューヨークにフォトグラファーとして行って、ファッションデザイナーとしてパリに帰って来た。
そのニューヨークからおよそ15年私はファッションデザイナーとして働いている。
その間、2001年9月11日の後ニューヨークからレバノンに移る。
2015年私はもう疲れた。音楽を聴き、美味しい食事、馬と過ごす日々(ちなみに馬の名前はウシ)
2021年東京のギャラリーからの電話が鳴った、東京でショーをやりませんか?もう1つアムステルダムからの電話が鳴った、アムステルダムでショーをやりませんか?
さて、私の母方のおばあちゃんはレゲエカラーのセーターを編んでくれた人でリクエスト次第で何でも有りの人、父方のおばあちゃんは仕立て屋さん何でもしっかりきっちりと仕上げなければいけません。この2人の影響により私のB.O.R.N.のスタイルが出来上がって来たと思います。
Q ブランド名BORNの由来は?
A オランダにBORNという名の市があります、私が生まれ育った街なのでその意味です。
Q ファンへのメッセージ有りますか?
A ありがとう。
私の創った作品、私の作った服を大事に着てくれて本当にありがとう、自分の作品がどうあなたの身にまとわりついていくのかすごく楽しみです。私の服は6歳から96歳迄楽しめます、それがBORNです。
Q B.O.R.N.活動の目指すところは?
A 比較的早くからファッション産業の不完全さは知っていて、リサイクルマテリアルなどを使うことで出来るところから取り組んできている、今後もっとテキスタイルのリサイクルの研究を進めてみたいし、同じマインドを持った人達とのコラボレーションもしていきたいと思っています。
最後に一言。
お父さんが私にとって私の才能を活かす最高のアシスタントです。